7月14日(土)、34度を超す炎天下、米子市立図書館多目的研修室で、伯耆文化研究会7月例会を開催しました。
炎天下ではありましたが、伯耆地方の中世史がテーマであったためか、50人の参加者がありました。
テーマは、日置粂左ヱ門さんの「東伯耆の国衆と毛利氏」、高橋浩樹さんの「石井の要害」でした。
日置さんは鳥取県史の中世編、新修米子市史、北条町誌などを執筆され、また伯耆・因幡の中世史の論文を著されておられる碩学です。
国衆(国人)というのは、特に戦国期、地方の小領主で、戦国大名に従い武力でもって臣従するものをいいます。
日置さんは、はじめに14人の国衆が毛利一族の吉川氏と南条氏に対し臣従を誓う「起請文」を示され、北条町に地盤を持つ山田出雲守重直についてその系譜や毛利氏による安堵地などを説明されました。
2番目の発表者、高橋さんは、米子市教育文化財団の埋蔵文化財調査地に勤務され、考古学を専門としておられます。
この度、米子市石井にある、通称「石井要害」と呼ばれる標高30メートルの急斜面崩壊対策事業の事前調査を、鳥取県と米子市から依頼されて着手されました。パワーポイントを利用し、明治2年の地積図や伯耆志記載の絵図、昭和40年頃の現地写真などを使い、わかりやすく説明されました。
この要害は調査の結果、15世紀頃の要害の規模に比べ、16世紀中頃の規模、特に腰曲輪の面積が増えていることが判明しました。
この発掘調査を含めて、現地の「要害」という史跡の景観が今後どう変化するのかを考えさせられる、非常に興味深い発表でした。