03/29(金)の開館時間 9:00~19:00

H30年度 伯耆文化研究会

伯耆文化研究会3月例会の報告

3月9日(土)、米子市立図書館2階多目的研修室において、伯耆文化研究会3月例会が開催されました。はじめに、(よつ)(い)幸子さんが「赤とんぼの母 (みどり)(かわ)かたの生涯」について発表されました。

四井幸子さん発表

四井さんは、碧川かた研究会の会長を務められ、「鳥取県を舞台に!朝ドラを!」と活動しておられます。机上の研究だけでなく、県内の現地を訪ねて、実際に見る・聴くという臨地研究も活発にしておられ、収集された豊富な資料の中から碧川かたの生涯について詳しく解説されました。当日の聴講者の中からも新しい情報の提供があり、大変有意義な報告会となりました。

四井幸子さん発表

 

2人目は、岩佐武彦さんによる「弓ヶ浜 大切戸幻想~弓ヶ浜中部は切れていた」の発表でした。弓ヶ浜は出雲風土記の時代(8世紀)には、北部が夜見島と記され、和田から夜見町のあたりまで広く分断(大切戸)されていたようです。寛永16年(1639)斐伊川の氾濫で流路が宍道湖側に変わり、結果中海は大増水し、弓ヶ浜の大半が冠水しました。その頃からか、日野川の盛んな鉄穴流しの流砂で、外浜が急速に発達し、切戸は消失しました。

岩佐武彦さん発表

 一方伝承では、養老年間(8世紀)に「古覆り事ありしと云えり、大水此の地に来たりて浜中の村里樹木を漂蕩せし・・」と弓ヶ浜各村に埋木の記録が伝えられています。岩佐さんは特に浸水被害の集中した大篠津、和田、崎津に注目され、空中写真や地籍図、絵図等を駆使して今回調査をまとめられました。

岩佐武彦さん発表

 

弓ヶ浜は砂州なので、陸地が突き出た部分ではなく、半島と呼ぶのは問題であるとの指摘もありました。聴講者の中からは、藩政期の絵図との比較や浸水跡の個別のチェックなど、さらなる研究に期待する声があがり、次回の発表を約束されながら例会を終了しました。