3月9日(土)、米子市立図書館の多目的研修室において、伯耆文化研究会の3月例会が開催されました。
今回は、伯耆文化研究会会長の根平雄一郎さんによる「まぼろしの『夜見ヶ浜人』2」という報告が行われました。今回の報告は、2018年3月例会における「まぼろしの『夜見ヶ浜人』を追う!!」の続報ともいうべきものです。
根平さんの報告前に、伯耆文化研究会理事の中原斉さんから、考古学の立場から見た山陰の旧石器時代について簡単な報告がありました。中原さんによれば、近年大山山麓の豊成叶林遺跡などで、旧石器時代の打製石器が発見され、大山山麓は良い猟場だったと考えられること。また旧石器時代は寒冷化により隠岐まで地続きであったと考えられること。以上から、旧石器時代の人々が、打製石器の産地である隠岐や玉造周辺と大山山麓を遊動していた可能性が高く、従って、境港市外江町で人骨が発見されてもおかしくはないとのことでした。
これを受けて、根平さんの本報告に移りました。まず前回報告の概略が次の通りです。
①「夜見ヶ浜人」とは1969年12月、境港市外江町の工事現場で錦織文英氏が発見した人骨で、翌年早稲田大学の直良信夫教授が、旧石器時代のものと鑑定し命名したものである。
②直良氏や国立歴史民俗博物館の春成秀爾名誉教授はこの人骨を旧石器時代のものと考えたが、学界はおおむね冷たい態度で、世間の関心も薄れていった。
③1972年、直良教授の退官後人骨が行方不明となった。
④しかしながら、根平さんによる各機関への問い合わせの中で、直良氏の「夜見ヶ浜人」関連資料(カラー写真、発見届など)を入手することが出来た。
続けて、新しい調査結果の報告が次の通りです。
⑤東京大学において、「夜見ヶ浜人」の人骨を、故埴原和郎教授の外、山田格氏(当時大学院生)が形態調査を行った事が分かった。
⑥現国立科学博物館の山田格氏から、1978年にデジタルスキャナで撮影した高精度の写真(7枚)を入手することが出来た。
⑦埴原和郎教授が調査後、早稲田大学に人骨を返還したが、誰に返したのかは不明である。返還相手は数名に絞られており、人骨の再発見に手が届くところまで来ている。
根平さんによれば、人骨を見つけ出すためには、もっと世論を盛り上げ、それにより情報を集める必要があるとのことです。そのために根平さんは、高精度の写真からレプリカを作成されました。また消えた人骨調査の過程を本にして出版までされました(『まぼろしの「夜見ヶ浜人」』今井出版)。推理小説さながらの根平さんの調査・追究に、本当に頭が下がる思いです。ここまで調査されたからには、是非本物の人骨にたどり着けることを願うのみです。最後に皆でレプリカを見て、1万年前の旧石器人に思いを馳せました。