2022年11月18日(金)、米子市立図書館2階多目的研修室にて「藤本重郎につながる大田勝也氏講演会 大伯父藤本重郎について」を開催し、27名の方にご参加していただきました。
藤本重郎は八橋出身の社会教育家で、米子市立図書館の礎となる私設図書館「藤本文庫」を設立した方です。この度、藤本重郎が大伯父にあたる鳥取市在住の郷土史研究家・大田勝也さんにお越しいただき、これまで知られてこなかった藤本家の一族や、重郎氏の人物像についてお話していただきました。
大田さんは退職後、ご自身のルーツである東伯町を中心とした郷土研究を独自にされてこられました。
大田さんのルーツは伯耆国八橋の藤本和一郎秀春という刀工にあり、大田さんの藤本家調査研究はこの秀春氏の研究が出発点だったそうです。
大田さんは幼いころからお祖父さんの話を聞いて育ったそうです。大田さんのお祖父さんは藤本重郎の弟にあたり、長兄だった藤本重郎は大田さんのお祖父さんとは20才の差があったそうです。お祖父さん自身が子どものころから兄の重郎氏に息子のように可愛がられていたということでした。
講演会中盤では藤本家について丁寧に解説され、重郎氏の祖父から父について、そして重郎氏に至るまでの家系ストーリーを語られました。重郎氏の祖父は相撲が強く豪放磊落な性格で、一方重郎氏の父は温厚な性格だったそうです。重郎氏が全国を行脚して自由に活動できた背景には、藤本家の人柄、支えがあってこそなのかもしれません。
とても興味深かったのは、藤本重郎が若いころ、山間で魚売りをしようとした話でした。鰯を一軒一軒まわって10文で売っていったが、山間に行けば行くほど魚は弱り、次第に魚を1文まけてくれと言われる。1文まけてすべて売りさばいたが、重郎は最初に10文で魚を売った家々に引き戻し、なんと1文ずつ返していったそうです。藤本重郎は律儀で商売に向かない性格だったという、知られざるエピソードに驚きました。
他にも、重郎氏は全国を行脚して収集した本を藤本家の米蔵を丸々一つ使って図書館を開設したこと、そのときに大田さんのお父さんが本を運ぶ手伝いをして大変な思いをされたことなど、これまで知られることのなかった重郎氏のエピソードを次々に語られました。
今回の藤本重郎の話を聞き、米子市立図書館に藤本文庫があることが大変嬉しく、誇らしく感じました。これからもこの貴重な知識の宝、歴史財産を大切に保存し、後世に残していきたいと思います。
大田さんは郷土の知識が深く、1を聞けば100を答えてくださる大変博識で研究熱心な方でした。大田さんは技術系の仕事を長年されており、藤本家の刀工と学問の両方の血を受け継いでいらっしゃることがよく分かる方でした。これからも郷土史研究でのご活躍をとても楽しみにしています。
大田さん、ご参加いただきました皆様、この度は誠にありがとうございました。