7月12日(土)、米子市立図書館の多目的研修室において、伯耆文化研究会の7月例会が開催されました。
最初の発表は、伊田直起氏(日南町教育委員会主幹学芸員)による「日南町の戦争遺跡『宮内防空監視哨』について」でした。日南町の矢戸と宮内の境界にある宿根山(638m)山頂に施設はあり、昭和18年地元住民の労力奉仕で建設されたという。副哨長を務めた地元の久保木政男さんの証言では、敵機の目視、エンジン音で機種判別し、姫路の中部軍に電話連絡を行なったとのことです。山頂には日野川の河石を石積した大きな聴音壕と監視哨舎跡が現存します。
伊田さんは雑木に覆われ進行も困難な山道を1時間半もかけ登頂し、今回その近況も報告されました。今後、町指定史跡として保存したい意向もお話されました。
次の発表は、荒木菜見子氏(米子工業高等専門学校講師)による「建物疎開についてー実施経緯と戦後の空地の取扱いー」でした。米子市でも昭和20年7月14日から10日間と8月上旬にかけて行われ、その目的は重要施設(軍需工場、駅、市役所、大病院など)の延焼防止と消防用道路の確保でした。疎開は、道笑町2丁目、末広町、西倉吉町、中町、天神町1~2丁目など700軒ほどに及びました。重要施設周辺や加茂川、外堀沿いが目立ちますが、戦後、都市計画用地として転用されたところが相当あったようです。