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お知らせ

伯耆文化研究会 報告   2019/07/19

伯耆文化研究会7月例会報告

713日(土)、米子市立図書館の多目的研修室において、伯耆文化研究会の7月例会が開催されました。

まず、安来市の中尾隆義さんが、安来市を中心とした出雲地方における鋳物師(いもじ・いものし)について研究調査されたことを報告されました。鋳物師というのは、鉄や銅の鋳造を職能とする職人のことで、生活用品や仏具などを型に流し込んで作成する特殊な技能を持った職人です。島根県能義郡宇波村(月山富田城の南)の鋳物師5家(山崎、加藤、細田、新石、家島)や他地区の鋳物師の状況について解説がありました。

その鋳物師たちを「鋳物師職座法之掟」(天正4)をもとに、取りまとめたのが真継(まつぎ)家です。この真継家は、1770年頃が絶頂期で、1810年頃からその支配は後退し、明治政府が樹立された後、献上物が停止となりその支配は消滅。以後は、現在のように会社が設立され、鋳物は工場で製作されるようになったことを丁寧に説明されました。

発表後には質問も相次ぎ、有意義な研究発表でした。

 

 

2番目は、「米子城跡第54次調査の成果速報」です。発表者の佐伯純也さんは、米子市文化財団に勤務される本調査の担当者です。

 発掘調査の場所は、鳥取大学医学部附属病院の医大通りを隔てた反対側にある駐車場。この場所は米子城の内堀に近く、武士の居住地域に当ります。『伯耆国米子平図』(宝永6年・1709)によれば、米子詰組士・早瀬玄佐の屋敷地になるようです。

発掘調査の主な成果としては、

〇弥生時代終末期~古墳時代前期の近畿系の庄内式土器をもつ集落が営まれていた。

〇古代~中世は生活の痕跡が確認できない。

〇江戸時代初頭には武家屋敷が建てられたが、それ以降、明治時代になるまでの土地利用が不明瞭である。

 など、この地の変遷の一端を知ることができました。今後も、城下町の形成過程が考古学的手法によって具体的に明らかにされていくことを期待します。分かり易くて丁寧な佐伯さんの発表は、参加者にとても好評でした。